渋谷区議会議員の鈴木けんぽうです。

渋谷区の「男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」(条文はこちら)について、まぁいろいろな議論が飛び交っていますが、なかなか条例本体ではなく思い込みで話されているのが残念です。同性婚の是非とかですね。

特に、私自身がどちらかというと条例に対して好意的であり、明日の会派会議では賛成を求めようと考えているので、逆に批判的な観点からの議論をまとめてほしい(議論を深化するためには、自分と違う意見を丁寧に読み込む必要があります)と識者の方々にお願いしてみました。

今回は、条例案について何度か私のブログに寄稿していただいている論客、渡邉哲也さんに条例に反対する立場からの論点をまとめていただきました。私はこの論をすべて肯定するわけではありませんが、それでも条例案の弱い点を論理的かつ的確に突いていると感じます。条例案に賛同している方も、大いに参考になるのではないでしょうか。

 

賛成をしようと考えている私としても、この条例についてはいろいろ不安や課題を感じています。いくつか例をあげれば、指導に従わない企業の公表規定はさすがに強烈すぎると考えていますし、今まで女性センターアイリスで積極的な活動をなさっていた女性団体の皆さんが今回の条例で辛い思いをされるのではないかと危惧をしています。そういう意味で、「方向性がよければ賛成でいいじゃん!」というのは軽薄過ぎると思います。実直に、反対意見にも耳を傾け、できるだけ多くの方が賛同や納得できるものに仕上げていかないと、将来に禍根を残すのではないでしょうか。

穏健改革派(自称)としては、強く心配しています。

 

なお、多様性社会推進条例(パートナーシップ証明書を含む)の一連のブログ記事は、こちらをご覧ください。

タグ:多様性社会推進条例・同性パートナーシップ証明書

 

 

以下、反対論です。合わせて渋谷区議会での議論のまとめもご覧になってくださいね。

 

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渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例(全文・同性パートナーシップ証明書等)の問題点

総論

 まず結論から申し上げよう。この条例はその法的の定義が明らかでない部分が多く、『努力規定』と『義務規定』が条例内に混在しており、その『判断基準』が明確でなく、区長による恣意的独占的運用が可能なものと考える。また、憲法上も言論の自由等で問題となる部分があり、法によらない一種の警察権の濫用や法によらない社会的制裁である私刑が可能になっている。そのため、条例そのものの適法性も疑わしい。この様な条例案が議会で議論されていることが間違いだと思われる。

 区の説明では『パートナーシップ証明書』は単なる私文書であり、法的意味を持たないとしているようだが、行政が発行する以上、それは一種の公文書であり、条例上で義務規定を設けているために、私文書であるという説明は間違っているものと思われる。単なる公的意味を持たない証明書であるならば、権利や他者への義務を与えてはいけないと考える。

 私は同性愛であろうが、無性愛であろうが、それは個人の自由の範囲であり、それそのものを否定するつもりはない。しかし、自由を認めることと権利を与えることは全く別のものである。個人の自由に行政が介入する意味がわからない。

 すでに、性同一性障害に関しては、『性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律』により、戸籍上の性の変更なども可能になっており、性の変更後は通常の婚姻も可能で法的権利を得られるようになっている。

 本人の責任によらないほとんどの性の不一致に関しては、法的手段を取るだけで解消されるわけであり、この法的手段を講じるための手助けをするというのならばわかるのであるが、法的に無価値な証明書を発行する意味が分からない。確かに両性愛や女装や男装癖などこの枠組みから外れる性的志向の持ち主がいることも確かであるが、それを法的に承認し保護するべきかといえば、はなはだ疑わしいといえる。自由は認めるが、それを行政として認定し、支援すべきかは別問題だと考える。

 私は「男女平等」この言葉そのものを否定するわけではない。しかし、その前提となる「平等」というのは何であるのか考えるべきであろう。そして、動物学的にも男女は別の役割を持っていることは間違いのない事実である。種としての男性と女性では、それぞれもつ役割や機能が違い。運動能力的にも動物学的にも全く異質なものである。これを同じとして扱うことに問題があり、それを社会に強要するならば、弱者にとっても大きな負担になるだろう。

 

論点1 平等とはなにか

 これは男女という性別だけでなく、全てにおいて考えるべき問題であるが、人それぞれ適性や能力差が存在するは必然であり、それぞれの個により、得意とする分野も異なってくるわけだ。

 ここで考えるべきは、何に平等を求めるかということになる。たとえば「機会平等」と「結果平等」では全く違う意味になる。機会を与えることと同じ結果になることは全く別物であり、同じ結果をもとめることこそが間違っていると思われる。個人差を無視した議論は、能力の高い者にとっても、能力の低い者にとってもどちらにも苦痛となる。

 そして、この条例では『機会平等』と『結果平等』が混在しており、『平等と人権』という言葉により、結果平等を求めていることに問題があるのだ。

論点2 『努力規定』と『義務規定』

 法的見地から見た場合、務めるなどの『努力規定』としなくてはならないという『義務規定』では、全く意味が違ってくる。この条例では努力規定と義務規定が各条文内に混在しており、その切り分けができていない。そして、問題になるのが義務規定となる。

特に、問題となるのは以下の部分である。

(事業者の責務)
第七条
事業者は、男女平等と多様性を尊重する社会について理解を深めるとともに、区が実施する男女平等と多様性を尊重する社会を推進する施策に協力するよう努めるものとする。
2 事業者は、男女平等と多様性を尊重する社会を推進するため、採用、待遇、昇進、賃金等における就業条件の整備において、この条例の趣旨を遵守しなければならない。
3 事業者は、男女の別による、又は性的少数者であることによる一切の差別を行ってはならない。
4 事業者は、全ての人が家庭生活、職場及び地域における活動の調和のとれた生活が営まれるよう、職場環境の整備、長時間労働の解消等に努めるものとする。

 2項と3項は、事業者に対しての義務規定であるわけだが、先述したように、職業や職種の中には男性しか出来ないまた女性しか出来ないものがある。特に第3項ではこれを「絶対的に否定している部分」に大きな問題がある。

 例えば、公衆浴場の女湯で、男性が女性と同じ待遇を求めたらどうなるか、考えれば誰でもわかることである。そして、事業者がこれを拒絶した場合、この条例文では条例違反になってしまう。

(禁止事項)
第八条
何人も、区が実施する男女平等と多様性を尊重する社会を推進する施策を不当に妨げる行為をしてはならない。

 何が正当で何が不当であるが定義されておらず、憲法で保証された『言論や思想に自由を弾圧』するものになりかねない。刑法などで規定される暴力や威嚇行為などが許されないのは当然であるが、個人の意見を自由に述べる権利を妨げかねない文言となる。

3 区、区民及び事業者は、性別による固定的な役割分担の意識を助長し、若しくはこれを是認させる行為又は性的少数者を差別する行為をしてはならない。

 先ほどの女湯の話を想定すれば、性やそれそれの役割を無視した条文の問題点が明らかになる。

(区が行うパートナーシップ証明)
第十条
区長は、第四条に規定する理念に基づき、公序良俗に反しない限りにおいてパートナーシップに関する証明(以下「パートナーシップ証明」という。)をすることができる。
2 区長は、前項のパートナーシップ証明を行う場合は、次の各号に掲げる事項を確認するものとする。ただし、区長が特に理由があると認めるときは、この限りでない。

 第一の問題は区長の部分であり、区長の判断は何に基づくのか現段階では明らかでない。規則を設けるという事であるが、それならば同時に規則を提示すべきである。また、第二の問題として、この文書がどのような公的意味を持つかも不明であり、根拠不明の文書により義務付けられるのは大きな問題である。

第十一条 区民及び事業者は、その社会活動の中で、区が行うパートナーシップ証明を最大限配慮しなければならない。
2 区内の公共的団体等の事業所及び事務所は、業務の遂行に当たっては、区が行うパートナーシップ証明を十分に尊重し、公平かつ適切な対応をしなければならない。

鈴木議員の話では、これは法的意味を持たないということであるが、法的意味を持たない文書を理由に、行動を義務付けることそのものが問題であり、その責任範囲も不明確である。また、『配慮』や『公平かつ適切な対応』というのはどのようなものが不明確であり、権利の濫用要素になりうるものである。義務規定を設ける以上、それを厳格に定義すべきであろう。

第14条も同様であり、一方的に区長に権限が与えられているが、その判断が何に基づくものなのか不明確である。

そして、最大の問題が15条である。

(相談及び苦情への対応)
第十五条区民及び事業者は、区長に対して、この条例及び区が実施する男女平等と多様性を尊重する社会を推進する施策に関して相談を行い、又は苦情の申立てを行うことができる。

2 区長は、前項の相談又は苦情の申立てがあった場合は、必要に応じて調査を行うとともに、相談者、苦情の申立人又は相談若しくは苦情の相手方、相手方事業者等(以下この条において「関係者」という。)に対して適切な助言又は指導を行い、当該相談事項又は苦情の解決を支援するものとする。

3 区長は、前項の指導を受けた関係者が当該指導に従わず、この条例の目的、趣旨に著しく反する行為を引き続き行っている場合は、推進会議の意見を聴いて、当該関係者に対して、当該行為の是正について勧告を行うことができる。

4 区長は、関係者が前項の勧告に従わないときは、関係者名その他の事項を公表することができる。

 一地方自治体に過ぎない区には警察権は存在しない。同時に司法の権利も与えられていない。区の説明では、『一般的な指導監督権限』としているようだが、区民や事業者は許認可業種ではなく、法に基づかない調査はそのものが違法行為に該当する可能性がある。また、『推進会議』がどのような権限を保有しているかも明確でない。法や司法によらない社会的制裁機関はゆるされるべきではない。また、区長が絶対的権限を保有する構造になっているため、区長の独断による公表等の私刑行為が可能な条文になっている。

 また、行政としてみれば、国の適法な救済機関として、法務省人権擁護課や警察権を持つ労働基準監督署などが存在するわけであり、国の法によらず区が独自に行うべきことではない。法律により国が設置した窓口の紹介やあっせんすればそれで済む話である。 法的に認められていない調査機関による調査過程で、虚偽の申告などにより人権侵害や営業損失などが生じた場合、区はどのように責任を取るのだろうか?

 そして、この条例では区長に多数の権利を与えているが、議会の役割は皆無に等しく、区長を監視する適正な制度もない。 法的な根拠も不明で国や個人や企業の権利を区長権限で一方的に権利侵害できる条例案が出されることが問題であり、こんなお粗末な条例案を議会で議論することそのものが間違っている。