渋谷区議会議員の鈴木けんぽうです。
議員という仕事について、深く考えさせられるような新聞記事がありましたので、ご紹介します。

無投票増加:村議会「再選挙まずい」ライバルが候補者集め(毎日新聞)

村議の一人によると、議員が急死してもカネのかかる補欠選挙はやらず、これまで欠員1が常態化してきた。村内の若手男性自営業者は「自分以外の誰かが議員をやる、とみな思っている。冗談でも『やる』と言えば本気にされる」と村の空気を説明する。

切ない現状が語られていますね。
誰かがやらなくてはならない、けど誰もやりたくない・・・
人口の少ない自治体ではすでに選挙による代議制という間接民主制度が機能しなくなっているといえるのかもしれません。


同じ記事で、識者のコメントが載せられていますので、少し長めに引用します。

 ◇問われる存在意義 松本正生・埼玉大社会調査研究センター長

 地方議会の危機的状況に的確な処方箋を与えることは難しい。

 合併で議員と地域のつながりが薄れ、行政への口利き役としての仕事は失われている。代わりに政策立案が求められているが、低い報酬や定数削減でそんな余力はない。

 こうした中で、次の統一地方選はまさに議会の存在意義そのものが問われている。前回2011年統一選でも問われていたが、東日本大震災の陰に隠れてしまった。

 最近は住民投票の方が議員選よりも投票率が高い傾向がある。住民投票は、合併の賛否を問う場面などでは民意を反映させることができるが、ゴミ焼却場建設などの問題に用いれば乱暴なやり方だ。議会で議論し、時間をかけて合意形成しなければならないこともある。議会がないとどうなるのか、有権者はきちんと認識すべきだ。議会を残さないと、民主的に物事を決められなくなる。
・・・

ほとんどの住民が関係する、黒か白かを決断するような大きな争点は、盛り上がるし住民投票にもなじみます。直接民主主義は機能するでしょう。しかし、なじまないものもある。

文中で書かれている「ごみ焼却場建設」は、一部の住民だけ多大な不都合を押し付けられて、ほとんどの住民は無関係なので、住民投票では圧倒的に賛成多数になるのが目に見えています。これをさして「乱暴」と言っているのだと思います。こういう場合は住民投票にはなじまない。

その他、「子育て世代にとってはこの制度は不都合」「これだと低所得者が困る」「こうしたほうが高齢者はありがたい」などの、一部の人たちに関係あるような制度を住民投票にするのは無理があるから、議会で時間をかけて色々な論点を提示するのが有効です。議会では少数派にも発言権が与えられるので、合意形成に反映されやすいといえるでしょう。


<議員の役割ってなんだ?>


ふつうの方は、身の回りのこと以外ほとんど考えない生活を送っていると思います。でも、世の中には貧困やDVや病気や障害に苦しんでいる人がいたり、ゴミ処理や道路整備によるたちのきなど一部の住民に大きな不都合を背負わせなくてはならないことがあったり、さまざまに利害対立があったり(典型的なのは、マンションと近隣の日照権トラブルとか、保育園とその近隣の騒音トラブルとか)、そういう「できれば関わりたくない」ようなものを決める・調整する場合がたくさんあります。

そうした決め事・もめ事を、一般の方がいちいち関わるのではなく、代表者である議員が合意形成を図っていく、というのは、市民生活を守るうえでとても大事な機能だと思っています。

議員による代表制が無ければ、見たくない社会の暗ーい部分を常に見なければならないし、めんどくさい細かな決め事や関わりたくない込み入った利害調整の責任を一人一人がいちいち取ることになります。間接民主制はこういうものを代行しています。

さらに言えば、自分が不都合を感じても誰も助けてくれない。自分自身でいつも動かなきゃならなくなる。これって本当にしんどいことです。こういうことも、時として議員が代行しています。

ということで、一般の方が生活でできるだけ不都合を感じないように、代わりに間接民主制という形で議員が議論し、調整を図り、決定の責任を取ることは議員の存在意義の一つであると言えるでしょう。その過程の中で、より価値の高い・満足度の高い制度や事業、考え方を生み出せたらいいなあ、と常々考えています。