渋谷区議会議員の鈴木けんぽうです。

日本の最大の課題は少子化です。もはや手遅れとなりましたが、なんとか少しでも改善しなくてはならないのは言うまでもありません。

渋谷区も少子化の波に遅かれ早かれ巻き込まれます。その意味では、日本の少子化対策の歴史を改めて確認しておくことは非常に重要です。

 

ということで、今回は少子化に関わる本を読みました。

 

 

読んだ本について

 

 

「日本の少子化 百年の迷走~人口をめぐる「静かなる戦争」」について、政策に関係する点について、直接係るものだけでなく、ヒントも含めて備忘録的に書いておきます。

安倍政権の人口政策の基本書として、概観するのに極めて便利です。関心ある方はぜひご一読を。民主党には厳しいですが…

 

第1章 人口過剰論の台頭

  • 明治維新による工業化・医療や公衆衛生の向上によって人口爆発
  • 日露戦争後の人口過剰論・日本人排斥運動、排日移民法、人口戦
  • 人口過剰問題は他国に類を見ない水準
  • 加藤シズエと産児制限論(当初は多産による女性の貧困防止)
  • 「世界人口の危険区域」生活程度の行き下げ、産児制限、国内移民と土地の集約的活用、新領土

 

第2章 産めよ増やせよへの転換

  • 新領土獲得と人的資源の確保の必要性、大東亜共栄圏、他国に優れた人材を供給する必要がある「健兵健民」
  • 「産めよ殖やせよ国のため」結婚十訓&厚生省「優生結婚相談所」
  • 産児調節運動の弾圧
  • 軍の「子宝賞与」、厚生省人口の地域再配分、国民優勢法(中絶の制限)、多子家庭表彰
  • 近衛内閣「人口政策確立要綱」1960年に1億人・日本民族の量的質的発展を計画・出生増加を基本として死亡現象を図る・10年間で結婚年齢を3年引き下げ、出生平均を5児とする計画など
  • 20歳以上女性の就業制限、多子世帯の物資優先配給・表彰、結婚あっせん、結婚資金貸し付けなど
  • 思惑通りには進まなかった。晩婚化など。1920年(大正9年)をピークに下落、将来的な人口減少の懸念
  • 大都市への人口集中による晩婚晩産、日中戦争による出生率減、
  •  フランス敗戦の衝撃。ナポレオン時代は欧州の3分の1を占めたが、人口はその後低迷。人口増政策に邁進したドイツに抜かれ、兵力の確保がままならず、外交でも立場が弱くなった。均等相続と産児制限、個人主義(享楽主義)混血に原因があると言われた
  • 人口問題研究の権威上田博士など:人口減少の要因は戦争、婚姻年齢上昇、産児制限、大都市への人口集中
  •  当面の人口過剰と将来的な人口減少を解決することが課題に
  • 当時の推計:昭和75年1億2千3百人、ただし人口構成で青年の割合が減少、以降は人口減少。自然増に対応を追われているうちに少子化が進んでいた
  •  「武力戦は人口戦の一部に過ぎず、武力戦に勝ったからと言って人口戦に勝ったとはいえず」
  • ソ連、中国、インドと近接した諸国の人口増を警戒

 

第3章 敗戦後も続いていた日米戦争

  • 戦後生活困窮&人口急増(復員&ベビーブーム)
  • GHQ日本占領史第4巻 人口
  • 人口増加に解決に向けて戦争を仕掛け、その失敗が経済困窮につながっているとの認識→懲罰的態度
  • 病気の万円と社会不安を防ぐ程度の支援
  • 1945~50年の間に6階の人口調査
  • 「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来の膨張主義につながる恐れ」
  • 反共の盾にするという方針に変更→人口増加を抑制するのは共産化させないため
  • 米国の人口学者によって「このまま人口が増え続ければ、海外への食糧依存を続けるか貧しい生活水準に甘んじるか、再び海外に野心を持つか」と発表され定説に→人口抑制を求める世論が喚起される
  • 欧米各国のベビーブームは10年、日本は3年で以降急落(1949年269万、50年233万、以降も急落し57年に156万で底打ち)
  • GHQ公衆衛生福祉局サムス大佐(人口学を学んでいる)
  • 公衆衛生への注力:死亡率の減少が将来的に社会を少産少死に転換させる「西欧において出生率低下の要因になった」と記載
  • 「日本の工業を復活させない限り日本の人口は安定せず、人口膨張を許せば平和な民主国家にすることはできない」工業化・都市化→出生率低下の要因
  • 1946年サムス記者会見「人口過剰の解決は1工業化2移民3産児制限」
  • 加藤シズエを降伏文書調印直後に婦人問題非公式顧問に。婦人参政権後、立候補を要請(加藤自伝より)→47年優生保護法の議員提案(当時はGHQの承認なく法案提出できない)当時は優生思想は根強く残っていた→母体保護の世論の高まり
  • 家制度の解体
  • 49年4月のトムソン教授のインタビュー以降、マスコミで産児制限の議論が盛んに
  • 吉田内閣で産児制限の普及受入れ、生活困窮者にも産児制限(人工中絶軒数49年10万件→50年32万件経済上の理由28%母体の健康19%53年106万件。57年は出生112万中絶156万で、足すとベビーブーム期と同水準)
  • 51年吉田内閣避妊の普及による母体保護方針を閣議了解

 

第4章 「家族計画」という」少子化推進策

  •  54年厚相が中絶を人口抑制策と発言「家族計画」の普及、企業労務管理としての受胎調整指導、
  • こどもひとりひとりを大切に育てる、への転換
  • 69年厚生省人口問題審議会「日本の合計特殊出生率は東側の一部を除いて世界最低」
  • 「産めよ殖やせよ」への警戒感
  • 高度成長時代に「家族計画無用論」労働力確保の観点から。62年厚生省人口審議会「人口資質向上対策に関する決議」
  • 政調の家による人工妊娠中絶禁止運動の広がり。中絶目的の来日
  • 72年優生保護法改正案、経済的理由の廃止、優生上の中絶、初回分娩指導の見直し→障碍者団体、ウーマンリブの反発で廃案

 

第5章 少子化進めたオウンゴール

  • 71年第二次ベビーブーム
  • 71年厚生白書は出生力が弱いことを指摘1家制度の消滅2老後世話になるという思想の減少3扶養負担の増大4住宅狭い
  • ベビーブームで人口過剰論再燃
  • 74年日本人口会議「こどもは二人までという国民的合意を作るよう努力すべし」との大会宣言
  • 世界的な人口爆発の懸念。当時日本は国際的に「家族計画の優等生」とみられていた。少産が経済成長を実現したから
  • 74年第二回人口白書「静止人口を目指して」「4%落とすと、2010年までは増加するがその後減少に転じる」
  • 75年合計出生率が2を割り込み以降減少
  • 90年1.57ショック丙午下回る
  • 92年国民生活白書「少子化」初めてつかわれる
  • 94年エンゼルプラン・新エンゼルプラン。ただし、出生促進策は打ち出されていない
  • 03年少子化社会対策基本法。アレルギーは薄まって行った
  • 民主党政権で少子化対策から子育て支援策へのシフト

 

第6章 ようやく動き出した人口政策

  • 少子化危機突破タスクフォース
  • 少子化危機突破のための緊急対策、結婚・妊娠・出産支援を組み込む
  • 人口減少対策としての地方創生「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」人口目標2060年1億人
  • 国民希望出生率1.8の実現を約束
  • 出生率の低い東京圏から地方への移住を推進
  • 東京圏高齢化の対応
  • 地方都市のコンパクト化・賑わい維持
  • 少子化総合対策、結婚支援や多子世帯優遇に踏み込む