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渋谷区議会議員の鈴木けんぽうです。

4年任期の最後に、識者に寄稿をお願いし、それを次期の参考にする、という取り組みを各選挙でやっています。これは、最新の知見を導入し、理論的裏付けを得たうえで改善を図っていくために重要な取り組みだと思っています。

 

今回は、教育コンサルタントの後藤健夫氏に、2020年高大接続改革(大学入試改革)によってなにが問われるようになるのか、そしてそれがなにをもたらすのか、端的にまとめていただきました。

一読して、うーん、とうなってしまいました。保幼小中の公教育が極めて重要な役割を果たすようになることが容易に想像できます。先取りして対応したいものです。というか、しなきゃならない。

 まずはじっくりとお読みください。鋭い問いが突きつけられています。

 

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大学入試改革(高大接続改革)がもたらすもの

~経験と教育格差~

 教育コンサルタント 後藤健夫

 

3月になるとこんな相談が増える。

「明治大学文学部英米学科と青山学院大学文学部英米文学科とに受かったのですがどちらに行ったらいいですか」

みなさんならばどのように答えるだろうか。

 

少し大学を知っていると、「ここには○○先生がいるから」「こちらのほうが△△の研究が有名だ」といった具合に答えるかもしれない。

でも、これもよくある話だが、その教員が退職していたり有名な研究分野がその迷っている学生が専攻しようとしている分野とは異なったりしているなど、単なる知っていることの自慢話に過ぎなくなる。

一方で、それらの卒業生や関係者でなければ、多くの大人たちの答えはきっとこういうことだろう。

「どちらも変わらないんじゃないのかな。自分が気に入ったところに行くことがいいよ」

それが社会の感覚だろう。大学入試の「偏差値」や「就職ランキング」などに立ち返ることもない。

あるとすれば「最近、あそこの大学の卒業生が部下になったが、よく鍛えられているな」といった周囲の卒業生に照らし合わせた意見だろうが、こういった意見は個体差が大きいし、学科単位で教育内容や学習環境も異なることが多いから、学風を帯びてはいるかもしれないが、学科が異なれば鍛えられ方が異なる可能性も十分にある。

つまり、世の中は「学歴社会」とか「学校歴社会」とかいいながらもその評価は漠然としたものであり、どちらがどちらより上だなんてことはそう簡単に言えるものではない。

 

 

にもかからず、なぜ大学入試の段階でそんなにこだわるのか。

大学入試難易度ランキングを作っていた経験から言えば、その根拠となるものは「模擬試験」であり「大学入試」ではない。大学によって同じ科目であっても出題傾向は異なる。模擬試験がそれに合わせることはない。そんなに精確にどちらの大学が上かなどを測るつもりもない。だから河合塾では2.5ポイントのランク帯で示しているのだ。社会の評価より少しだけ小さなピッチで評価するのが精一杯だ。あくまでも大まかなイメージ、目安にすぎない。

模擬試験でわかることは科目ごとの達成度であり、時間内に解答するとか、ノートや参考書を見ないで解くとかといった学力試験の練習なのだ。そして、模擬的に受けたい大学に投票をしてどのくらいの得点をする受験生が集まるのかを集計することで、前年との人気具合やボーダーラインが上がるのか下がるのかを占うものでしか、模擬試験は存在しない。

先日、ある大学の入試課に模擬試験業者がやってきて、「オタクの大学の入試問題を改めるべきだ。模擬試験の成績に合否が合致しない」と言ったそうだ。

模擬試験を理解しない営業担当が登場するほど、この業界は衰退しているのかと、驚愕したものだ。

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さて、3月5日に「高大接続システム改革会議」が起ち上がった。政府の教育再生実行会議、文部科学省の中央審議会での議論を経て、2020年からの大学入学者選抜を変えようと動きである。

ここのところ18歳人口は増えたり減ったりしていたが、2018年から再び減少を始める。改革をするにはいい機会である。いまの大学受験生の親世代に相当する団塊ジュニアが受験したときのように大学入試は難しくはない。基本的には全入だ。選ばなければどこかの大学に入ることはできる。定員割れをする大学やつぶれる大学がささやかれる時代でもある。そんな時代にすでになっているのだ。

知識「偏重」から人物評価へと変わると言われているが、そういうと塾関係者が色めき立つ。それはまったくの勘違いである。知識が不要なわけではない。知識を実際に活用することを求められている。知っていればいい知識は自慢のタネでしかないのだ。知識を活用するためにはその知識がなければ活用できないことは自明なことであろう。

そして、人物評価は「人となり評価」ではない。一部でそのような報道が出たが、その記者は人となりという言葉を知らなかったのだろう。人となりは天性のものである。それを評価して合否を決めることはあり得ない。問われることは経験である。経験によりなにを得たかが問われるようになる。

ただし、この経験を問うとなると家庭環境が大きく影響する。家庭環境により教育や経験が変わることはある程度は仕方がないものかもしれない。しかし、それが大学の合否に大きな差が出るようなことがないように気をつけておきたいものだ。

 

経済格差が教育格差に繋がる可能性を増すのだ。経験の差で格差が広がらないように、そしてその格差が固定化しないように、これからしっかりとウォッチしたいと考えている。