渋谷区議会議員の鈴木けんぽうです。

4年任期の最後に、識者に寄稿をお願いし、それを次期の参考にする、という取り組みを各選挙でやっています。これは、最新の知見を導入し、理論的裏付けを得たうえで改善を図っていくために重要な取り組みだと思っています。

 

今回は、『学び合い』というアクティブラーニング的授業手法を研究していらっしゃる上越教育大学の西川純教授に、公教育がめざすものについてまとめていただきました。

先生が数十人のこどもに教える普通の授業スタイルは、どうしても成績上位の子(わかってることをやっててつまらない)や成績下位の子(わからなくてつまらない)が置いてきぼりにされます。これにたいし、『学び合い』は「一人も見捨てない」を掲げます。その効果は高く、「唐津市の鏡山小、「学び合い」授業全国最優秀賞に」(佐賀新聞)という記事も昨日報道されました。

『学び合い』が目指すのは、きっと、教室が部活となり、企業となり、そして社会となることです。ひとりで成果を出せばいいのではありません。ひとりひとりがベストを尽くし、他の人と折り合いをつけ、全体で成果を出していく。まさに、社会の縮図です。

 まずはじっくりとお読みください。そこには理想が詰まっています。そして、現実に行われている授業なのです。

うちの子が小学校に上がるまでに、渋谷区に導入したかったな…でも、まだ遅くない。

 

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一人も見捨てない授業づくり

~人間関係を深める『学び合い』~

 上越教育大学 西川純

 

 ある温泉地のことです。その保護者が集団になって中学校にクレームを申し入れたそうです。そのクレームは「学校の勉強がわかりやすく、面白すぎる」というクレームです。

おそらく「???」と思うでしょう。

しかし、その保護者によれば「学校の勉強が分かり面白ければ、都会の大学に進学を希望し、卒業後は都会で就職してしまう。そうすれば旅館を次ぐ人がいなくなる。恥をかかない程度に分からせるようにして欲しい」と申し入れたのです。さて、これを笑えるでしょうか?

 

 ある県では県下の高校に進学率を上げ、東京大学等の有名大学への進学者を増加することを求めています。そのために予算をボンボンつぎ込みます。さて、そのように育てられた子どもは都会の大学に行き、そこで就職します。ということは県の予算をつぎ込んで、都会の人材を養成しているのです。

 さて、温泉地の保護者とどちらが笑えるでしょうか?

 

 これは都会も同じです。私は東京都で生まれ育ちました。しかし、今は新潟で生活しています。メーリングリストには季節ごとの飲み会の案内が来ますが、私は遠方で参加できません。

 自分の子や孫の幸せを願わぬ人はいないでしょう。では、その我々は何をしているでしょうか? とりあえず高校に進学させ、大学に進学させる。それも出来れば偏差値の高い大学に進学させたいと願っており、そのためにお金をかけている家庭は少なくありません。かく言う私も同様です。

 しかし、それが子どもの幸せに本当に役に立つでしょうか?

 もちろん、高学歴の方が相対的に有利であること、有名大学を卒業した方が有利であることは確かだと思います。しかし、三十、四十になれば、それは幸せの決定打ではないことは分かっていると思います。

 では、何が幸せを決めているでしょう。

 バーナード・ショーというイギリスの劇作家の言葉に、「就職できれば人生の悩みは半分解決する」という言葉があります。実感としても正しいように思います。なにはさておき、食べることと、寝ることの確保は基本です。就職すれば、それが確保できます。また、就職すれば、その職業における人生設計が定まります。例えば、○○歳までに○○を行い、○○歳には○○になり・・という目標が定まります。就職すると言うことは、選択の幅が狭まることですが、それは、悩まなくなるということを意味しています。

 就職すれば人生の悩みの半分が解決するならば、残りの半分は何かといえば、その半分(即ち人生の悩みの四分の1)は結婚だと思います。残りの四分の一の半分(即ち人生の悩みの八分の一)は子どもを授かることだとおもいます。即ち、何はともあれ一生をかける職業と伴侶を得て、子どもを授かったならば、人生の悩みは八分の七は解決するように思います。私は子どもが授かったとき、「これで私の望みの大半はかなわれた、あとは、授かった妻と子どもと仲良く・健康にくらせるならば、後の望みはどうでもいい」と思いました。

 相田みつをの詩に「人の幸、不幸は人の出会いから始まる」というものがあります。人の人生設計は様々です。必ずしも結婚や出産を選ばない人は増えていると思います。しかし、いずれにせよ永続的な人との関わりを持てるかが幸せを決めることは確かだと思います。

 では、我が子、我が孫の幸せを確実にする永続的な人との関わりを持てるようにいつ学ぶべきなのでしょうか? それは学校です。学校には様々な人がいます。そして、その人たちは一生涯をともにするかもしれない人なのです。では、そのような関係をいつ結んだら良いでしょうか?

 

 

 私は『学び合い』(二重括弧の学び合い)という教育の考えを提唱しています。その根幹は学校教育の大部分を占めている教科学習において「一人も見捨てない」こと求め続けることなのです。それによって、普段は相性が悪いと勝手に思い込んでいる子どもとも関わります。その教科が得意だからといって偉そうにしていれば、不得意な子どもに教えられません。その教科が不得意だからといって卑屈にしていれば、最後まで分かりません。

 『学び合い』の授業の様子を簡単に紹介しましょう。

 授業の最初に、「教科書23頁から24頁の問題を全員が解けるようにする」と黒板に書きます。そして、教師は「この授業で一番大事にすることは全員が課題を達成することです。そのために出来ることをしましょう。一人を見捨てるクラスは、二人目を見捨てる、そして三人目を見捨てる。四人目は君かもしれない。絶対に見捨ててはいけない。さあどうぞ」と語ります。

 子どもたちは、てんでに机を動かし、勉強します。文科省の統計によれば、子どもたちの3割程度は塾・予備校・通信教材で勉強をしています。そして、小学校でも、中学校でも、高等学校でも、どの教科でも、成績の中、もしくは中の下に合わせた授業をします。従って、3割程度の子どもは周りの子どもに教えることが出来ます。

 そのような子は、分からないでボーッとしている子どものそばによって教えます。もちろん、分からない子は、最初は恥ずかしがっていますが、やがて分からないことが分かっても馬鹿にすることがないことが分かります。今までだったら、授業開始5分程度で寝ていた子も学習に集中します。

 どんどんそのような子は成績が上がります。事実、特別支援の必要な子と認定された子どもが60点、70点とどんどん点数を上げていきます。成績の高い子は、今まで退屈していました。ところみんなに教えることによって、塾・予備校・通信教材で分かったつもりになっていたことの穴を見つけます。そして、教えることによってみんなから感謝されます。

 その姿は仲間同士が図書館に集まって夏休みの宿題をやっている様子に似ています。

 

 さて、教師は何をしているでしょうか? 全体をゆっくりと見ます。ゆっくりと見られるので、子どもの姿をじっくりと見ることが出来ます。

 例えば、遊んでいる子がいたとします。今までだったら、その子を注意します。しかし、注意しても言うことを聞かないかもしれません、聞いたとしても教師が別なところを見れば、また遊びます。

 『学び合い』では「その子」を注意しません。その代わりに、全体に向かって「遊んでいる子がいたとして、そのままにしているということは、その子を見捨てていることになる。それで良いのだろうか?」と柔らかに言います。そうすると周りの子がその子のそばによって教え始めます。その子は勉強に向かいます。

 授業中に遊ぶ子は教師に嫌われてもいいと思っているかもしれません。しかし、クラスメートには嫌われたくないし、クラスメートの目は盗めないと思っています。それ故に、勉強に集中します。

 そのような時間が授業時間の9割以上続くのです(つまり、40分以上)。最後に、教師は今日一日の勉強はどうであったかを「一人も見捨てなかったか」の視点で総括します。この教師の姿は部活の顧問のようです。このようなことの繰り返しによって、教科が得意な子も不得意な子も人間的に対等につきあうことが出来るのです。

 『学び合い』では、そのような勉強を日々積み上げることによって支え合う子ども集団を作り上げます。その姿は良い部活の姿です。部活算数、部活数学、部活国語、部活理科、部活社会などを通して、集団が育つのです。

 

 

 私の考えるパラダイスとは、全ての人が生まれたときに百人以上の人に祝福され、死ぬときには百人以上の人に送られるのです。それに例外はありません。町内会館に行けばだれかがいて、仲良く飲んでいるのです。一人一人はタッパー一つのつまみを持って集まるのです。そこには小学校、中学校の同級生がいて、先輩がいて、後輩がいる。地域のお年寄りもいれば、自分たちの子どもたちもいる。それがゴチャゴチャしている。そんな町内を日本中に育てたいと思っています。

 その出発点が、教室だと信じています。

 

 『学び合い』の姿を知りたい方は以下をご参照ください。

(注:下のリンクはすべてアフィリエイトになっています。収入は全額鈴木けんぽうの政治活動に使われます) 

 

 

 

 

(以上 学陽書房)

 

 

 

 

 

 

 

(以上 明治図書)

 

 

 (以上東洋館出版社)