解散総選挙が近づいているようです。
こういう時によく思い出すのが、夏目漱石の「草枕」の冒頭です。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
(私なりに意訳)
頭でっかちで自分の主張だけしていても反発されるだけだ。
情にほだされて、ずるずる行ってしまえば罠に落ちる。
意地を貫いて頑固になれば柔軟性にかけ行き場がなくなってしまう。
かといって、どこかへ行ってしまうわけにもいかない。
結局、どこへ行っても同じように人間関係で悩むだけだ。
これだけ含蓄の深い言葉も珍しいなと。
特に政治家にとっては、 陥りがちなトラップが見事に表現されていますね。
「これが正義だ!(智)」
「親分や後援会に言われたから(情)」
「この政策が通せなかったらダメだ(意地)」
と安易な離党や無謀な立候補に至り、そして散っていく人のどれほど多いことか。
私も15年近く政治業界の片隅に活動しているけれども、多数決民主主義の政治に生きている以上、人々の理解を得て多数を形成しなければなにもならない、ということを痛感しています。
ままならないこともムカつくことも多いけど、それは周囲の理解を得られていないから。キーパーソンを動かせていないから。納得できるようなロジックや手順をつくれていないから。
いかに理不尽に感じても、閉塞感に苦しんでも、逃げるわけにはいきません。打開するためには周囲に働きかけるしかないのです。
「成らぬ堪忍、するが堪忍」
漱石の考えを借りれば、「どこへ越しても住みにくいから、その地で楽しむ努力をしよう」ということになります。
地道に理解者を増やしていくしかないんです。
翻って、自分自身のことを考えた時。
まぁ、基本は頭でっかちで口ばっかり、何ができるわけでもなく、ひとみしりで、周囲と喧嘩や摩擦が絶えない喧嘩っ早いところはあります。そう自覚しています。
だからこそ、苦しい時には草枕のこの一節を思い出します。
やりたい政策をやるためには、耐えるしかないなあと。
さすがに在職12年もなって、耐えることが苦しくはなくなってきたのですけどね。
今までいろいろありました。
もし飲む機会でもあれば、差支えない範囲でお話ししたいと思います。
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